自分はこういう経由でブログを始めました 

こんばんは、自分で髪を切りサッパリしたサードです!

 

ここ3ヶ月くらい僕は人見知りを治す為に頑張っています。

昔から人見知りで小学生の時から人見知りでした。

そんな自分がブログを始めたり、人見知りを治そうと思うまでの事を書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

小学生時代

 

 

人と関わるのが苦手で目立つ事を学校行事でするのが苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。

 

体育の授業で自分の番に回るのが怖くて嫌で嫌で…

他にも国語で自分だけが音読しないといけないとか、音楽で自分が歌わないといけない、自由研究を発表しないといけない、日直をやらなければいけない…

 

本当に全てが嫌いでどうしようもなくて不登校になりました。

勉強は出来るんだけど、学校に馴染めなくて何度チャレンジをしても学校には行けませんでした。

 

でも、先生方には恵まれていて学校に行かなくても勉強を教えてくれたり散歩を一緒にしてくれて話を聞いてくれたり、通知表では毎回人間性を褒めてくれてました。

 

 

 

中学生時代

 

 

そして中学校に入学して2日間だけ行きました。

3日目から行けなくなってしまいました。

 

学校というもの自体に嫌悪感があって、体も心もしんどくて学校に登校して帰ってきたら1日中動けませんでした。

 

それから最初は散歩から始めて、徐々に学校に入る練習をして、別室登校を始めて勉強をしていました。

 

別室登校すると先生方と会話をする機会が増えて、保健室の先生・カウンセラーの先生・色んな学年の先生・教頭先生・校長先生…

 

特に自分の担任の先生とカウンセラーの先生と美術の先生・英語の先生・校長先生・保健室の先生とは行く度に話すようになって日常会話や趣味の話、見ていたドラマの話題など本当に色んなジャンルにこだわらずに話してくれました。

 

もちろん先生方は仕事で生徒と接するわけですから優しくしてくれるのは当然なのかもしれませんが、僕的にはとても有難い事でした。

 

卒業まで別室登校して卒業式の時は他の生徒全員が卒業式を終えたタイミングで学校に行き、校長室で卒業証書を受け取りました(学校に入ったら自分のクラスのみんなが卒業を祝ってくれました、みんなの事を僕は名前すら知らなかったけど)

 

学校の玄関でわざわざ僕を祝ってくれた同じクラスのみんなを見て、僕は「何で先生はこんなことするんだよ、勘弁してよ」っていう気持ちと少し嬉しい気持ちと

会話をした事もない、会った事すらない同級生なんてどうでもいいんじゃないのって考えもありました。

 

でも今考えると、そう思っていた子もいるでしょうけど素直に祝ってくれていた子が多かったんだと思うんです。

そうじゃないとあんなに笑顔で純粋に「おめでとう!」って言えないんじゃないかなって。

これで、もし演技なら怖いですね(笑)

 

そして、校長室に案内されるまで別室で待機する事になるんですけど(卒業式の後なので色々と忙しかったんだと思います、先生方申し訳ない)待っている間にも何人かの先生が訪ねてくれて小話をしていたら校長室に案内されました。

 

案内されて入室すると1年生時代の担任の先生・2年〜3年生時代の担任の先生・美術の先生(イラストを教わっていた)・カウンセラーの先生(毎週水曜日・木曜日はカウンセラー室で勉強)と校長先生が居ました。

 

そして卒業証書をもらって、その場にいる先生1人1人と結構話をしました。

1年の時と2年〜3年の担任の先生とカウンセラーの先生と玄関まで歩いているときにも色々話していたのが良い思い出です。

 

カウンセラーの先生とはドラマの展開どうなる?とか、あの女優さん可愛くない?みたいなくだらない事を話しました(笑)

カウンセラーの先生とは結構普段の勉強の時から大人な話から真面目な話までしていました。

 

最後に英語の先生にも会い小話をして、学校の玄関で写真を撮って帰路に付きました。

その帰り道の途中にもわざわざ学校の外に出て卒業をお祝いしてくれた先生もいました。

 

こうして僕の中学校生活は終わりました。

 

 

 

高校時代

 

 

 

高校入学を果たして、しばらくは順調でしたけど高校も行けなくなっていきました。

友達を作ろうにも上手く行かなくて、兄が悪さをした事で母親がメンタルを病んだりと家庭内でも色々あって自分自身もユラユラしていました。

 

そして高校を辞めてしまいました。

 

 

 

高校中退後

 

 

 

それからコンビニのバイトを始めましたけど、先輩の女性に理不尽に怒られたりしながら頑張っていましたが、家庭の事をグチグチと言われて反論する気も起きないけど、そこで働く気力もなくなりやめました。

 

次は農家さんの店頭販売のお手伝いに行きました。

ホームセンターの前にお店を出して、来ているお客さんに野菜を売るという感じです。

 

朝の5時に起きて準備をして場所が遠いので早めに出まして、着くのが8時くらい。

お店の準備をするのが8時半と聞いていたけど、結局9時開始でした。

 

終わる時間が夜の6時までと正直僕にとってはハードでした。

でも、一生懸命お客様の対応をして商品を売る事自体は順調でした。

 

しかし、体力の疲れも見え始める午後の3時半から4時くらいに商品を載せたトラックが来ました。

この商品を店頭に並べるのは取り仕切っている人やその人の義理の息子さんの仕事なんですが、なぜか自分がやることになりました。

 

少し力を入れないと登れないほど大きいトラックの中に乗り、その中に山積みにされている野菜の箱を1箱1箱台車に乗せて、ある程度乗せたら店頭に運ぶという作業です。

 

1箱の重さが大体4〜5キロあるので、それを持ち上げてトラックの入り口付近に置いてから自分が降りて箱を持って台車に乗っけるっていうのを1回で5〜6回繰り返します。

これが3時半から終わるまで定期的にあります。

 

で、やっと終わったと思ったら明日も同じような時間で頼むと言われ、明日はもっと動いてもらうと言われたので断念しました。

 

根性なしと言われても良いのですが、続けられるビジョンが見えませんでした。

給料も1日働いて5千円でした(正規雇用ではなく手伝いという名目だからか)

 

で、しばらく人とか仕事にトラウマを覚えて人と話すのも怖い時期でしたし、無理矢理にでも働こうかなと思った時にコロナが流行しはじめました。

 

 

 

現在

 

 

そして今年に入り、ずっと漫画やゲームやゲーム実況を変わらず見ていた僕は触発されて自分で少しでも人見知りを改善できないかなと思うようになりました。

 

ゲームや漫画の中の人はもちろんカッコいいし、それを創造できる人たちも素敵で自分に刺さる事が多かったんです。

ゲーム実況者の方たちも20代前半でパニック障害を起こして引きこもりになった人、人間嫌いで引きこもりになった人、昔いじめられていた人たち。

 

みんな、そういう過去を持ちながら今は人気ゲーム実況者となり楽しくゲームをしていたり結婚をしていたり小説家も兼任していたりと僕にとっては衝撃でした。

 

そういう自分の好きな分野のものに触発・活力をもらった自分は今年18歳になった事もあり行動を起こしてみる事にしました。

 

そしてLINE友達なんて1人もいなかった僕は今はLINE友達が(電話したり・外出自粛明けに人の少ないところで食事をしたり)10人います。

 

そしてブログも始めて、Twitterも始めてみました(ほぼ絡みに行く感じだけど)

 

まだまだ人見知りなど改善していないけど、着々と一歩一歩進んではいると思います。 

人見知りや精神的なものに理解がない人は多いですし、交わり合えない人というのも世の中には数多く存在していることは知っています。

 

 

最後に

 

 

不登校とか学歴を気にする社会だから生きづらさを感じる事もあったけど、今は自分を信じてあげられます。

 

自分と同じように悩んでいる人や少し似たような悩みを抱えている人の少しでも力になりたいし、自分も一歩一歩進んでいきたいという事を考えて今回は書く事にしました。

 

自分はこんな人間ですという事を長々と駄文ですけど書かせていただきました。

お読みいただいてありがとうございました、改めてよろしくお願いします。